田辺城(舞鶴城)

ちょうど、7月も半ばを迎え、京都でも祇園祭のメインイベントが近づいてきました。本日は宵々山ですので、出かける予定にされている方もおられるかとは思いますが、祇園祭の時期が来ると、そろそろ梅雨の終わりが近づいてきているなぁと感じます。関東では梅雨明けが宣言されていますので、関西でもそろそろですね。さて、梅雨さえ明ければ7月20日は海の日となりますので、海水浴を考えておられる方も多いのではないでしょうか。そこで、本日は、海の近くにある観光施設をご紹介させて頂きます。
ところで、皆様は舞鶴という場所をご存知でしょうか。日本海側の舞鶴湾に面しており、京都の中では大きな港である舞鶴港を中心に、港湾都市として栄えてきました。造船や硝子といった産業で発達した他、戦時中には軍港としても栄え、戦後には大陸からの引き上げ港として多くの人々が行き交いました。特に、舞鶴の中央部分に横たわる五老岳から東側が軍港として栄え、今も赤レンガの倉庫群などが残されています。しかし、この東地区とは対照的に、西地区は古くから城下町として栄えてきました。この城下町は、関が原の戦いに先駆けて繰り広げられた田辺城の戦いの舞台となった田辺城を中心とする町で、商業の中心地として発達しました。
この田辺城は、織田信長の命によって丹後を制圧した細川藤孝が築いた城になります。始めは宮津城を居城としていた細川藤孝が、東西を川が流れ、北は海に臨み、南は低湿地帯である田辺に、本丸、二の丸、三の丸、外曲輪とそれぞれの堀が囲む輪郭式に築いた平城で、交通の要所でもありました。また、四方が囲まれているため守りやすく、その為、田辺城の戦いの際には宮津城を焼き払って田辺城に籠城したのだそうです。この田辺城も、江戸時代に入り宮津城が再築されると破壊されてしまい、初代舞鶴藩主となった京極高三によって再興されるまで荒廃するままとなっていたのだそうです。その後、藩主が京極氏から牧野氏へと変わったり、大手門などの城門や石垣などの改築なども繰り返しながら代々伝えられました。現在は、本丸や二の丸の一部が舞鶴公園として整備されており、平成4年には本来の場所からは外れますが、大手門の櫓門も復元され田辺城資料館が2階部分に設置され、様々な資料が展示されています。因みに、1869年に行われた版籍奉還では、紀伊田辺藩との同一名称を解消する為、田辺城の雅号である舞鶴(ぶがく)城に因み、舞鶴藩と呼ばれるようになり、現在に至るのだそうです。近くには海水浴場もいくつかありますので、皆様も一度訪れてみられてはいかがでしょうか。



田辺城・舞鶴市田辺城資料館
住所:京都府舞鶴市南田辺
開館時間:9:00〜17:00 月曜(祝日の場合は翌々日)、祝日の翌日休館
料金:無料
問合せ:田辺城資料館 0773-76-7211
アクセス:JR舞鶴線 西舞鶴駅 徒歩4分。



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