碁盤・龍源院

京都に都が置かれた際、中国の長安や洛陽を参考に条坊制を採用し、計画的な都市造りが行われました。その中で、皆様もご存知の通り、京都の道は碁盤の目のように配され、今でもその名残で、市内の中心部は東西と南北に走る道で構成されています。平安時代では、千本通りは朱雀大路通と呼ばれており、道幅85mにも及ぶ大きな道であったと言われています。また、二条通りも50mあったとされているのですが、人が増え、家が建つにつれ、それらの道は少しずつ削られ、今では京都の中でも狭いほうの道になっています。また、公家や寺院などが持っていた広大な土地も、分割して家や店を建てる際に道が必要になり、今のような路地の多い複雑な造りになったそうです。
さて、京都の道を「碁盤の目のような」と表現しておりますが、この碁盤というのが、囲碁に用いられる用具であることは皆様ご存知のことでしょう。この囲碁の起源は中国の占星術であるとされており、日本には奈良時代に伝わったとされています。日本に入ってきた当初から、貴族を中心に楽しまれ、戦国時代に入ってからも多くの武将が囲碁を楽しんでいたと言われています。その中でも、特に織田信長囲碁を好んだと言われているのですが、その織田信長とも繋がりの深い豊臣秀吉徳川家康が対局した際に使われたとされる碁盤が今も龍源院(りょうげんいん)に残されています。
龍源院は、大徳寺塔頭の一つで、大徳寺南派の本庵とされています。1502年に東渓宗牧を開山として建てられており、創建当時のものが残されている方丈や表門、唐門は重要文化財に指定されています。また、方丈の北側には枯山水の竜吟庭が広がり、南側には一枝坦と呼ばれる庭が広がります。その他にも、方丈の東側にある東滴壺は、日本で最も小さい坪庭として知られていますし、庫裡の南軒先にある濾沱底は阿吽の石庭として知られています。阿吽とは、吸う息と吐く息のことで、相対するが切り離すことのできないものを表しており、阿の石と吽の石を配した小さな庭で、大きな宇宙を表現していると言われています。
この龍源院は、大徳寺塔頭の中で、常時公開されている数少ない寺院の一つです。室町時代に建てられた方丈の他、先述しております碁盤も書院に展示されていますので、興味のあるかたは一度訪れてみられてはいかがでしょうか。



龍源院
住所:〒603−8231 京都市北区紫野大徳寺町82-1
拝観時間:9:00〜16:30 無休
料金:大人 350円、高校生 250円、中学生以下 200円
問合せ:075-491-7635
アクセス:市バス 大徳寺前停 徒歩5分



京都 不動産(賃貸物件・売買物件etc)の情報は狩野コーポレーションHPへ