南座・吉例顔見世興行

皆様は日本の伝統芸能の1つである歌舞伎を見られたことがあるでしょうか。歌舞伎は重要無形文化財にも指定されている日本独自の演劇で、出雲阿国(いずものおくに)から始まったとされています。1603年に出雲阿国北野天満宮で行った興行が京都で評判となり広まっていったのですが、当初は、その時代の流行歌に合わせて踊りを披露したりもしていたのだそうです。その後、男装をして、当時の江戸や京で流行していたかぶき者(女物の着物を羽織ったり、動物の皮を袴につぎはうなど、派手な格好を好み、髪型や刀にも特徴があった。生き方に共感や賞賛が寄せられる一方、乱暴・狼藉を働く者も多く嫌われていた。)の行動を取り入れた新しい演芸を生み出し、今のような歌舞伎の動作の基本が作られたと考えられています。出雲阿国出雲大社の巫女であったとも言われているように女性なのですが、歌舞伎が模倣され、広がっていく過程の中で、遊女歌舞伎や若衆歌舞伎が風紀を乱すとして規制され、男性役も女性役もすべて男性によって演じられる野郎歌舞伎が今に繋がる歌舞伎として発展しました。また、幕府によって「物真似狂言づくし」が義務付けられたことによって、踊りが中心であった歌舞伎踊りから、史実や物語、事件を題材とした芝居である歌舞伎劇が多く演じられるようになりました。
さて、この歌舞伎は、今で言うところのドラマや映画のような位置づけをされており、能舞台などを利用して演じられていたのですが、より高度な演劇へと進化するために、専用の演劇場(歌舞伎座)が作られるようになりました。歌舞伎が1603年に出雲阿国によって始められたのは先述の通りなのですが、それから10年ほど後になる元和年間(1615〜1623年)に、京都の四条河原町界隈に公許された7つの座が作られました。これら7つの七つの櫓(座)は、四条通沿いに5座、縄手通沿いに2座あったのですが、火災などによって徐々になくなり、今は南座(京都四條南座)のみがのこされています。国の重要文化財にも指定されている桃山風破風造りの建物は、平成3年に内部を全面改修し、外観はそのままに最新設備を整えた劇場として改築されました。皆様も、近くを通られた際には、その外観をじっくりと眺めてみられてはいかがでしょうか。
また、12月の末までは、南座恒例の吉例顔見世興行が行われています。この期間中、正面玄関には役者の名前を勘亭流で書いた「まねき」と呼ばれる看板が掲げられます。「二枚目(の男)」「三枚目(の男)」といった言葉の語源ともなったこのまねき、師走の風物詩ともなっていますので、機会がありましたら一度訪れてみられてはいかがでしょうか。



京都四條南座
住所:〒605-0075 京都市東山区四条通大和大路西入中之町198
問合せ:075-561-1155
アクセス:京阪電鉄 祇園四条駅 徒歩1分/阪急電鉄 河原町駅 徒歩3分



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