重陽の節句

春夏秋冬で季節が美しく移りゆく日本では、気候の変り目の祝祭日のことを節日(せちび・せつび)といい、お供え物をしたり、行事等をおこなって祝ってきたという歴史があります。「節句」という言葉は、この節日の供物、「節供(せちく)」という言葉が、節日そのものを指すようになったからといわれています。
重陽節句の起源は、ほかの節句と同様古来中国に由来しており、中国では、奇数は縁起のよい陽の数とされ、一番大きな陽の数である九が重なる9月9日を、「重陽」として節句のひとつとしてきました。
中国ではこの日、茱萸(しゅゆ=ぐみの実のこと)を袋に入れて丘や山に登ったり、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習がありました。これが日本に伝わり、平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事となり、江戸時代には武家の祝日になったと言われています。
その後明治時代までは庶民のあいだでもさまざまな行事が行われていたようです。旧暦の9月9日というと現在では10月にあたり、ちょうど田畑の収穫も行われる頃、農山村や庶民の間では栗の節句とも呼ばれて栗ご飯などで節句を祝ったようです。
京都に伝わるユニークな重陽の行事としては、上賀茂神社の「重陽神事・烏相撲(からすずもう)」があります。
この日の朝10時の、前夜から菊の花にかぶせておいた「菊の被綿(きせわた)」を神前に供える神事につづいて、烏相撲がとりおこなわれます。境内細殿前の土俵の左右から、弓矢を手にした二人の刀弥(とね)が横とびしながら2つの立砂の前へと現れ、「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴きまねをした後、氏子の子供が相撲を行うという、古式ゆかしい行事で、平成3年からは、京都三大祭りのひとつ「葵祭」の斎王代がこれを観覧するというならわしが800年ぶりに復活しました。現代では縁遠くなってしまった節句行事ですが、日本の伝統と趣きがある日ですね。
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