壬生狂言

kanohco2005-10-07

京都の難解地名の1つとしてあげられるのが、「壬生」。これで「みぶ」と呼びます。市バスの終着地の1つでもあり、京都に来られる際は、バスの表示に「壬生行き」をよくご覧になることでしょうこの壬生には、「壬生狂言」でも有名な「壬生寺」があります。壬生寺は、厄除・延命の寺として信仰があつく、節分の時期には参詣者で大いににぎわいます。
また、新撰組ゆかりの地でもあり、境内には新撰組隊士の供養塔や、近藤勇の胸像があります。
京都古来の芸能として有名な壬生狂言は、鎌倉時代に「円覚上人(えんがくしょうにん)」(1223年〜1311年)が、仏教を民衆に分かりやすく教えようと、身振り手振りで表現したことに始まると言われています。当時、上人の教えを聴きにくる人が10万人にも及んだので、円覚上人は「十万上人」とも呼ばれました。このような群衆の中で教えを分かりやすく伝えるのは難しい・・・、そう考えた上人は現在のいわゆる「パントマイム」(無言劇)に教えを仕立てて、布教に努めたと言われています。
のどかなお囃子の中で静かに、ゆったりと演じられるこの壬生狂言は、正式には「壬生大念佛狂言」といい、「壬生さんのカンデンデン」という愛称で、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。一般 の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、全ての演者が仮面をつけ、「せりふ」を用いず無言で演じるという形がとられています。
壬生狂言は、昭和51年に京都府下で第1号として、国の重要無形民俗文化財の指定を受け、今でも古式通りに厄除の大法要、炮烙奉納、大護摩供養、お練り供養、厄除護摩祈祷、星祭りと様々な祭事が行われています。
参詣者は境内で炮烙(ほうらく)という素焼きのお皿を買い、家族や知人の年齢・性別を墨書きし、奉納します。この炮烙は、壬生狂言の演目の中で割られ、これを割ることで、その人の厄が落ちるとされています。
春の公開には、奉納された炮烙が舞台から落とし割られ、観客の拍手喝采が絶えず、見どころの1つとなっています。また、狂言が演じられる「大念佛堂(狂言堂)」は、昭和55年に、国の重要文化財に指定されたもので、必見の価値ありです。
京都に続く古くからの芸能ですので、一度見に行かれてはいかがでしょうか。
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